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I'm busy busy doing nothing.

最近余裕がなかったなぁと反省するような気持ちになってしまった。

予定がない休みの日を「暇だ」、仕事が前工程で滞りすぎて「暇だ」って言い過ぎて

何もやる気がでない過ごし方をここ数か月していたなと。

"何もしないは最高の何かに繋がっている"

良い言葉だな、それぐらいの気持ちで普段からいられたら、何でもないような日も充実したって思いながら寝られそうだ。


暇だった、ではなく、何もしないことに忙しかった。

充実した良い日だったって一日の終わりに思える日を増やしていきたいね。


大人のクリストファー・ロビンの帰宅時間が21時過ぎで「働きすぎよ!」って怒ってもらえるのは、ふぁんたじーのせかいだ、って思ってしまったが。

そのあとの家族との予定捨てて休日出勤なのはぶらっくだったけど。


プーたちのぬいぐるみ感がすごかったけど、ずいぶんと自然に動かせるようになったよなぁと、技術の進歩には目を見張るばかり。ピーターラビットを見たときも思ったけども、映像世界では色んなものが「生きてる」って魅せられるってとこまで来てるよなぁ。


ロビンはあのバスで出会ってからどうやって結婚までこぎつけたのか。バスの中で一目ぼれした相手を口説いた方法が知りたい。

仕事も出世してる感じだったし、意外とロビンはやり手だったんだな。


意外も何もあんまりプーさんの原作読んだことなかった。キングダムハーツのイメージが一番強いから、そもそもロビン出てこないし。

ハニーハントは…乗ったはずだけどどんなアトラクションだったっけ…?

もうあとはプリーグの記憶しかない。プニキ。


キャラクターとしてはド有名だから知ってる気でいたけど、案外知らないもんだ。


I'm busy busy doing nothing.

この歌詞だけはしばらく口ずさみながら過ごしてみよう。

夏の終わりにみるにはちょうど良いSF(少し不思議な)ものがたり。

いや、とても不思議か。


子供っぽい、大人げない、大人びた、子供らしくない

オトナとコドモの境目ってなんだろね。年齢で分けるには人それぞれ成長違う。

あと自分で思うオトナになったなと、周りが見るオトナになったなって思うポイントも違うんだろう。自分がオトナになったなぁと最初に思ったのは何だったか。

オトナになるってのはビールが飲めるようになるってことだ、ってのは剣道教師。それぐらいシンプルで良いのかもね。


少年の性癖がぶれなさすぎて将来が心配になるやつ。子どものころに知らず刷り込まれた性癖は大人になっても変わらんからね。友人の酔っ払いフェチはどこで覚えたのか。

そして俺はどこでポニテから抜け出せなくなったのか。


ペンギンってのが不思議感を上げてて良いチョイスだなと。マスコット的にも良いし、何も考えてなさそうなあの眼とかも。ペンギン可愛い。

子どものころは水族館に行くとペンギンの前から動かなかったらしい。あの白黒と歩き方は魅力的よね。今でも水族館行くとペンギン見てたいし。

でもペンギンのぬいぐるみとかペンギングッズ持ってなかったな。なんかでっかいペンギンのぬいぐるみ買って車の助手席にシートベルトさせときたい。


印象に残ったのはお父さん。子どもに接する態度として、話を聞けて、適切なアドバイスができて、ってのは単純ながら一つの理想形だと。子どもに要求してるレベルも高いから、糧にできてる子ども側が凄いのかもだけど。

きっとノートのまとめ方とか考え方をことあるごとに教えてもらってたんだろうね。そういうようなことって親から教わったことなかったけど、生きてくうえで汎用的なスキルだと思うし、そういったことも子どもに伝えられるようになりたいね。小さいころから課題に対して自分なりに仮説を立てて検証する癖がつくと、きっと一人で生きていける思考が身に付く気がする。手軽に調べられるようになっていく時代になるほど、そういうスキルが大事になるんだよなと、最近仕事でも感じるように。勉強の内容だけじゃなくて、考え方ってやつを教えていきたいね、難しいけど。

とはいえ子どもも嫁もおらんけどね。ドクシンキゾクハジユウキママデス

栢山のポンコツっぷりがはっきりと描写されてたが、1巻は別に普通だったではないか。


数学とは何か、英語とか地理とかは容易に定義付けしていたけど、たぶん英語を専門にする人たちの物語があるとしたら、その中では数学もまた容易に定義付けされるんだろうな。結局自分が一番向き合ってるものに対して、普通とは違う意味を探したりすんだろう。自分が時間を掛けているものは、こんなにも価値があるんだぞと、納得させたいのは究極的には自分ただ一人だけなわけで。共感を得るのはまた別として。


「青春は諦めたときに振り返って気づくもの。(意訳)」あぁあれが青春だったのかと。ちょこちょこセリフとして青春って言葉が使われてたけど、自分が高校生ときにはわざわざ青春してるなんと言ったり感じたりはしなかったような。でも振り返れば、あの日々は間違いなく青春で、確かに色々なことを諦めて、なんだか良く分からない現実ってやつに阻まれて、それでも毎日に気づきがあったような、振り返って思うことがありすぎて、だからおっさんは若手に講釈を垂れたくなるんだろうな。もう自分には取り返せない時間だと諦めているから。


薙刀部の柴崎は見習いたい性格。しんどいから進むって、それを続けることがどんなに大変か。苦手な数学を克服するために、まともに話したことのない栢山に教えを請うことだって、それを素直に実行することの難しさよ。真面目とはまた違う、自分に対して厳しいというか、理想を持っている姿ってのは、忘れずに心に留めておきたい。


数学の始まりとは何なのだろう。ユークリッドはなぜ誰しもが正しいと思うものを原論としようとしたのか。そこには理屈などなく、突き動かされた結果なのか。成さずにはいられないっていう衝動を抱えている人ってのはいるんだろうな、いつの時代も。そういう人になりたかった。


ゲーテルの不完全性理論を久々に見た。自分では自分の正しさを証明できない、人にも通じるものがあるなと。数学でも無矛盾なものを厳密には証明できないなら、この世界のどこにもそんな普遍的で完璧な正しさってのはないのだろう。大事なことな気がする。


何にしても追い求める理由は人ぞれぞれでいいんだろうな。

読み終わった後には数学と美術の繋がりとか、好きな数字の理由とか、色々考えてた気がするが眠くて頭が回らない。

好きな数字は0。というより、0が発明?発見?される前の数学ってのが想像できない。それぐらいの革新というか世界を新たな事象に連れて行った0ってはすごいやつだ。

すごいやつなんだ。

SNSで話題になって小劇場からどんどん拡大上映していった話題作。

ネタバレ見ずに観に行ってほしい、とのことで事前情報をなるべく入れずに観に行きました。

後半はすごく面白かった、ある種の謎解きみたいな、伏線が綺麗に回収されていくのは心地が良いもんですな。

そして面白さをネタバレせずに説明するのが難しいから、とにかく観に行って!って紹介になるのも仕方なしね。

ただ最初の30分はしんどかった。。。とにかく画面酔いとの闘い。表現上仕方ないのだが、割かし前のほうの座席で見てしまったため、ちょっとそこで心が折れそうだった。

でかいスクリーンで見るより、小さ目なスクリーンで後ろから見てるほうがあってるかもね。


ストーリーを色々書くのはやっぱり野暮かなと思うので、それ以外の感想だと、映画の主演の女優が健康的なエロさで大変良かったです。B級映画は綺麗な女の人がワーッとなってドーンとなるのが良いってポンポさんも言ってたし。

文科系の青春物。

とはいえ数学で決闘っていうシステムを導入しているから、結局勝負事ってのが青春テーマに合うんだよね。

物語にメリハリを作るために、勝負前、最中、結果、というのは起承転結に上手くハマるんだろうなと今更ながら思う。


数学要素は思ったより少なめで、物語に重要な意味があるのかな?って思った京の数列は放置したまま1巻は終わったので、ここらへんは2巻読めば分かるのかな。

そこの答えを知りたがるのは自分が結局理系脳だからなのかと書いてて気づいた。


主人公の栢山が持っている「一度見た数字は忘れない」って能力、数字的感性が優れていることの象徴なんだろうけど、数学以外にあまり興味を持っていないことを除いて、それ以外は普通の高校生らしく生活できているのが違和感あった。こういうチートな能力持っているなら大きな欠点がないと釣り合いが取れないのではないかと、というのはただの僻みか。

数学の世界に迷いなく進んでいける、というのはある意味片道切符だし、一般的な道を進めないという点でリスクを普通より負っているのかもだけど。


ただそんな数学の世界に飛び込めるのは羨ましくもある。作中にも繰り返し出てくる「才能」というワード、数学の世界は特に強いと思う。

目に見えない数字だけの世界を想像しろって、そりゃ無茶な。「それぞれの数学世界を持っている」というのも納得で、4次元以上の高次元や、宇宙の原子の数より大きいスキューズ数とか、現実離れした数学でイメージする世界は、きっと数学者同士でも頭の中に浮かんでいる姿は違うんだろうなと。無限にも大きさがあるって知った時の意味不明さを超える経験はまだない。

それでも純粋数学はロマンの塊で、きっとこの世に神がいるとしたら、それを見つけられるのは数学だろうなぁ。世界の真理?というのがあるとしたら、数学を突き詰めた先にあるんじゃないかと。見てみたい気はすごくあるけど、そこまでどっぷりと人生を懸けられる勇気がないとか余計なことを考えてしまう時点で権利がないので、自分が生きているうちに誰かが到達してくれないかなぁ、難しいか。


Kindleで読んでるとパラパラめくれないので、正しい文があったページをすぐめくれないから、めんどくさがって文章を正しく引用できないのが難点。ただ記憶に残っているという点に絞って思い出せるので、その部分は本の印象が強く残ったところなんだろうと思っておく。そういった箇所を引用するときは意訳、とでも文末に書いておこう。

「一人で数学の道を進んでいるのが一人じゃない(意訳)」、ということを知っているかどうか。確かに心持ちは違ってくるだろう。心強さであったりライバル心であったり。何にしろ、自分一人だけ、という時間を長く過ごすと思考のループにハマったり、閉塞感に耐えられなくなったりするのは容易に想像できるし、そういった状態を打開するきっかけは、やっぱり外乱≒他人の行動なんだろう。直接の言葉でなくたって、文章でも何でも。自分とは違う考えってのを見ると、急に視界が開けるってのは日常生活でも間々あるし。たとえ狭い世界だったとしても、その世界の中では開かれているってのが大事なんだろうなと。数学はもっと、特に日本で、もっと開けた文化になってほしいという気持ちはあるけど。なんなの、あの文系タイプの数学の毛嫌いっぷりは。教育法がいかんのか。


とりあえず2巻があるので、数学に対して思っている他愛もないことはまたそっちを読んだら書いてみようかと。


最後にこの小説、登場人物の名字が難読過ぎるので、備忘録としてメモ

栢山 かやま

東風谷 こちたに

蓼丸 たでまる

十河 そごう

京 かなどめ

皇 すめらぎ

三枝 さえぐさ

弓削 ゆげ

2巻読むときに覚えられているか…